2015-08-29から1日間の記事一覧

阿部嘉昭『松本人志ショー』

そしてわかるはずだ、松本の「異類」コントの基本にあるのは「哀しみ」だと。それで笑いとともに「哀しみ」までもが転写されてゆく。

阿部嘉昭『松本人志ショー』

松本のつくりだす漫才やコントは見事にオチを欠いている。だから総体でそれらの時間をとらえれば、それはひとつの無変化という「停滞」をしか示さない。ただ、その瞬間瞬間が笑いのための創意にみち、だから「停滞」のなかを、なおも時間が豊かにあふれだし…

阿部嘉昭『松本人志ショー』

たけしの視線は状況に対して全体把握的だ。その全体把握をおこないながら滑空してゆくことで彼の漫才の「時間」が生じる。彼はだからそこに「現代」という領域をつくりあげることができた。領域の実体化というこの点を考えれば、その漫才は「積分的」と呼べ…

清水正『ビートたけしの終焉――神になりそこねたヒーロー』

ビートたけしは意味は〈ない〉ことを強調しているが、その根拠を示すことはできないから、意味が〈ある〉ことを強調しても、べつにおかしくはない。ビートたけしは「意味がないのに意味があるかのようにして生きていく方法がはびこっているんだよ」と言って…

清水正『ビートたけしの終焉――神になりそこねたヒーロー』

タイトルSonatineは中のonとtiと最後のeが消えてSanとなり、次いでSとnが消えてaとなる。これは面白い。Sanは太陽(Sun)ではなく、息子(Son)でもない。aはアルハベットの最初であるから原初的なものを意味する。 村川は真の意味での英雄・神としての太陽にな…