2011-04-23から1日間の記事一覧

安岡章太郎『僕の昭和史』

何年か前に、ウイリアム・フォークナーが日本へやってきたとき、「日本人諸君の苦しみはよくわかる、われわれ南部の者も同じく戦争の敗者だからだ」と言ったのを、僕は何かで読んで覚えていた。フォークナーのいう「戦争」は南北戦争のことだという。百年前…

安岡章太郎『僕の昭和史』

しかし、僕はひるまなかったし、ヤケにもならなかった。落胆したり絶望したりするのは、まだ自分に幻想を持っていられるときのことだ。僕にはもはや、そんな抱負や期待は何もなかった。僕は、ただ短い行間にどんな小さなことでも自分の知り得たこと、自分の…

安岡章太郎『僕の昭和史』

そういえば太宰治がこの年の六月、入水自殺をとげたというのを聞いて、僕は衝撃をうけると同時にホッとした。

安岡章太郎『僕の昭和史』

体験といえば、いまの自衛隊でも民間会社の新入社員を体験入隊させることがあるらしい。それにはそれなりの効果はあるのだろうが、じつはそれは何かを体験したことにはならないだろう。いずれ〝体験のための体験〟などというものは、現実ばなれのした特殊な…

安岡章太郎『僕の昭和史』

たしかに、戦争や敗戦が大きな共通体験であったことは間違いないが、その部分部分を取り上げて、おたがいに語り合おうとすると、同じ学年上りの〝戦中派〟同士でも学年のちょっとした違いから、話がまったく嚙み合わなくなって、いったい何が共通体験かと思…

安岡章太郎『僕の昭和史』

大袈裟なことを言っていると思われるかもしれないが、後年、戦争のきびしくなった頃、僕らは実際に二、三箇月の生れ月の違いが生死の別れ目になるという妙な運命にあわされた。まして一年二年という年齢の違いは、平時の十年二十年に匹敵する差違を、われわ…