2011-05-30から1日間の記事一覧

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

考えてみれば、われわれにはほとんど前途の見通しはつかないものなのだ。そこにまた、世界を造りたもうた偉大な神に安んじて依り頼むいわれもでてくるのである。つまり、神がその被造物である人間をまったく無一物の逆境に陥れるということはなく、どんなひ…

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

私の今までの境涯は、人間誰しもかかりやすい例の業病にみまわれた人々へのみせしめであった。思うに人間の不幸の半分は、じつにこの業病に発するといってもよかった。つまり、それは、人間が神と自然が定めた境遇に満足できないということ、まさしくこのこ…

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

われわれ人間にとって、自分の境遇のほんとうな姿はそれとまったく相反するものをつきつけられるまではわからないものなのだ。げんに自分がもっているものの値打ちは、それを失ってみなければわからないものなのだ。

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

われわれ人間にとってぎりぎりの最悪の事態でさえも、神は場合によってはいともたやすく、それをさらに悲惨なものにすることができるということを私は知った。

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

欠乏を訴える不満は、すべて、現にあたえられているものを感謝する心の欠乏から生ずる、というのが私の考え方だった。

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

もう今では世間を、自分とは関係のない、それについてなんら期待も欲望ももたない、ある遠い存在とみなすようになっていた。じっさい、私は世間とはまったく無縁であったし、おそらくいつまでもそうであろうと思われた。したがって、世間をみる私の見方は、…

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(平井正穂 訳)

私はいった。「もし神が自分を捨てたまわないとすれば、たとえ全世界が自分を捨てても、それがどんな不幸な結果をひきおこすというのか。どんな意味があるというのか。だがその反対の場合はどうか。もし自分が全世界をえても、神の恩寵と祝福を失えば、これ…