2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ギボン『ギボン自伝』(中野好之 訳)

私が庭園の東屋で最後のページの最後の数行を書いたのは、一七八七年六月二十七日の日というよりも夜の十一時と十二時の間であった。私は筆を擱いた後で、田園、湖水、山脈の景観を見渡すアカシア並木の散歩道を何回か歩き廻った。空気は温暖で天空は澄み渡…

タキトゥス『年代記』(国原吉之助 訳)

二人は同時に、小刀で腕の血管を切り開いて、血を流した。セネカは相当年をとっていたし、節食のため痩せてもいたので、血の出方が悪かった。そこでさらに足首と膝の血管も切る。激しい苦痛に、精魂もしだいにつきはてる。セネカは自分がもだえ苦しむので、…

フロイト『夢判断』(高橋義孝 訳)

夢はひとに未来を示すという古い信仰にもまたなるほど一面の真理は含まれていよう。とにかく夢は願望を満たされたものとしてわれわれに示すことによって、ある意味ではわれわれを未来の中へと導いて行く。しかし夢を見ている人間が現在だと思っている未来は…

マキアヴェッリ『君主論』(河島英昭 訳)

人民は優しく手なずけるか、さもなければ抹殺してしまうかだ。なぜならば、軽く傷つければ復讐してくるが、重ければそれができないから。したがって、そういう誰かを傷つけるときには、思いきって復讐の恐れがないようにしなければならない。

サルトル『実存主義とは何か』(伊吹武彦 訳)

人間は自由である。人間は自由そのものである。もし……神が存在しないとすれば、われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。……われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現し…

『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(「画家の生活と勉強」)(杉浦明平 訳)

画家は孤独でなくてはならぬ――画家は孤独で、自分の眺めるものをすべて熟考し、自己と語ることによって、どんなものを眺めようともそのもっとも卓(すぐ)れた個所を選択し、鏡に似たものとならねばならぬ。鏡は自分の前におかれたものと同じ色彩に変るものだ…

パスカル『パンセ』(由木康 訳)

人間は自然の中にあって何者であるか? 無限に比すれば虚無、虚無に比すれば一切、無と一切との中間物。両極を理解するには、それらから無限に隔っているので、事物の窮極とその始原とは、彼にとって、底知れぬ秘密のうちに詮方(せんかた)もなく隠されている…

マルク・ブロック『封建社会』(堀米庸三 監訳)

封建時代のヨーロッパにおける乳児の死亡率がはなはだ高かったことは、まずまちがいのないところだが、このことは、ほとんど常態であった喪に対して人の感情をにぶらせずにはおかなかった。大人のほうはどうかといえば、戦禍による不慮の死を別にしても、そ…

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平 訳)

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫(ぬ)いていく作業である。…… 自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫け…

ハーバート・リード『芸術の意味』(滝口修造 訳)

私が示す例は、偉大な日本の画家葛飾北斎(一七六〇‐一八四九)の色彩版画(「富嶽三十六景、神奈川沖浪裏」)である。……鑑賞者が普通のイギリス人であると考えよう。慣れた観察者が注意深く衝立(ついたて)の陰にかくれていたとすれば、この絵を見る人が眼をみは…

ミシュレ『魔女』(篠田浩一郎 訳)

特定の時代には、あれは魔女だというこの言葉が発せられただけで、憎悪のため、その憎悪の対象になった者は誰彼なしに殺されてしまったことに注意していただきたい。女たちの嫉妬、男たちの貪欲、これらがじつにうってつけの武器を手に入れるわけだ。どこそ…

アダム・スミス『国富論』(水田洋 監訳、杉山忠平 訳)

たしかに彼は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。……ただ彼自身の儲けだけを意図しているのである。そして彼はこのばあいにも、他の多くのばあいと同様に、見えない手に導かれて、彼の意…

『旧約聖書』「コーヘレト書」(月本昭男 訳)

いっさいの事柄は物憂く、 誰も語り尽くせはしない。 目は見て、飽きたりることなく、 耳は聞いて、満たされることはない。 かつて起こったことは、いずれまた起こり、 かつてなされたことは、いずれまたなされる。 日の下(もと)に、新しいことは何一つ存在…