2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧

内田百ケン「無恒債者無恒心」

生きてゐるのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまはないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、變な聲を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまへば、その後は、矢つ張り死んだ方がとく…

小林一茶『おらが春』

「親のない子はどこでも知れる、爪を咥(くわ)へて門(かど)に立(たつ)。」と子どもらに唄はるゝも心細く、大かたの人交(まじわ)りもせずして、うらの畠に木・萱など積たる片陰(かたかげ)に跼(かがま)りて、長の日をくらしぬ。我身(わがみ)ながらも哀(あわれ)…

伊東静雄「咏唱」

この蒼空のための日は 静かな平野へ私を迎へる 寛(おだ)やかな日は またと来ないだろう そして蒼空は 明日も明けるだらう

永井荷風『断腸亭日乗』「一九四五年三月九日」

余は五、六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃上り黒烟(こくえん)風に渦巻き吹つけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定(みさだむ)ること能わず。唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上少か…

菊池寛「文芸作品の内容的価値」

芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ。それは十九世紀ころの芸術家の風俗だが、まだそんな風なポーズを欣(よろこ)んでいる人が多い。 文芸は経国の大事、私はそんな風に考えたい。生活第一、…

菅茶山「冬夜の読書」

雪は山堂を擁して樹影深し 檐鈴(えんれい) 動かず 夜(よる)沈沈 閑かに乱帙(らんちつ)を収めて疑義を思う 一穂の青灯 万古の心 *檐鈴 軒につるした風鈴 *乱帙 帙からとり出して散らかした書物

川端康成『雪国』

なんとなく好きで、その時は好きだとも言わなかった人のほうが、いつまでもなつかしいのね。忘れないのね。別れたあとってそうらしいわ。

川端康成『雪国』

島村は退屈まぎれに左手の人さし指をいろいろに動かしてながめては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶のたよりなさのうちに、この指だけは女の…

芥川龍之介『侏儒の言葉』

恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。