2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧
朝はじまる海へ突込む鷗の死
曾子(そうし)曰く、戒めよ戒めよ、爾(なんじ)に出(い)ずる者は、爾に反(かえ)る者なりと、夫(か)の民(たみ)は今而後(乃)(すなわ)ち之に反(報)(むく)ゆるを得たるなり、君尤(とが)むること無(なか)れ。 曾子曰、戒之戒之、出乎爾者反乎爾者也、夫民今而後得反…
細雪妻に言葉を待たれをり
私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、…
夕日が来て枯向日葵に火を放つ (ゆうひがきてかれひまわりにひをはなつ)
私は呆然とした顔つきになっていたにちがいない。だが彼は、立派な答をした気になっていた。彼の顔には、微笑がうかんでいた。テストは終了したと思ったのだろう、帽子をさがしはじめていた。彼は手をのばし、彼の妻の頭をつかまえ、持ちあげてかぶろうとし…
省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷いベンチに腰をおろし、買い物籠(かご)を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。上り下りの電…
私は、ただ見ていたのである。
「あなたは健康な人だから、健康な暮しの凄さが、ほんとうにはわからないのよ」
冬菊のまとふはおのがひかりのみ
理性的であるものこそ現実的であり、 現実的であるものこそ理性的である。 ※太字は出典では傍点
世界史は東から西へとむかいます。ヨーロッパは文句なく世界史のおわりであり、アジアははじまりなのですから。東それ自体はまったく相対的なものですが、世界史には絶対の東が存在する。というのも、地球は球形だが、歴史はそのまわりを円をえがいて回るわ…
いうまでもないが、対話は、他者との対話でなければならない。すなわち、自分と異質な他者、異なる言語ゲームに属する他者との対話だけが、対話とよばれるべきである。一つのコードの中でなされる対話は、自己対話(モノローグ)と同じであり、弁証法もこの…
「勉強し給え。おわかれに当って言いたいのは、それだけだ。諸君、勉強し給え、だ。」
「現実とは愛なのだ」
「その問題とは、つまりこういうことですよ――いかにして役立たずの人間を愛するか? いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価…
身にしむやなき妻のくしを閨(ねや)に踏む
あなたの話し相手は、あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、自分自身のことに対して持っているのである。中国で百万人の餓死する大飢饉が起っても、当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。首に出来たおできのほうが、アフ…
生きてゐることがうれしい水をくむ
小説とは、いわば文学的な私生児なのだ。誰かに捨てられたから孤児たる宿命を引きうけるのではなく、「完璧な捨子」として無根拠に出現したものに、人は小説という名称を与えたということなのだ。ここでは文芸ジャンルとしての小説論を展開するつもりはない…
死ねば野分生きてゐしかば争へり
「世の中って、ねえ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」
こほろぎのこの一徹の貌(かお)を見よ
病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。
母の日のてのひらの味塩むすび
「内に省みて恥ずるところなければ、百万人といえども我ゆかん」という有名な言葉が孟子にあるけれども、百万人が前に向って歩きはじめているときにも、なおたった一人の者が顔を覆って泣くという状態もまた起りうる。最大多数の最大幸福を意志する政治は当…
咲きいづるや桜さくらと咲きつらなり
「ジャックと私は、夜おそくまでサティの音楽について語りあった」 坂を降りながら、ジャンが盗み読みしたクレールの手帳の一節を、私は自分のなかで繰り返していた。あの本を友人たちと読んだころ、サティという音楽家がいたことも、もちろん、彼の作品につ…
夏草やベースボールの人遠し
そもそも民主主義とは、――いや、これはどうも、あまりに唐突で、自分で言い出して自分でおどろいている有様で苦笑の他(ほか)はございませんが、実は私は、まったく無学の者で、何も知らんのです。しかし、民主とは、民の主(あるじ)と書き、そのつまり主義、…