2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

夏目漱石「病院の春」

此看護婦は修善寺以来余が病院を出る迄半年の間始終余の傍に附き切りに附いてゐた女である。余は故(ことさ)らに彼の本名を呼んで町井石子嬢々々々と云つてゐた。時々は間違へて苗字と名前を顚倒して石井町子嬢とも呼んだ。すると看護婦は首を傾(かし)げなが…

森鷗外「靜(しづか)」

安達。世を捨てた先に世がある。俗を逃れた先に俗があるのですね。詰まらないぢやあありませんか。

夏目漱石「元日」

去年は「元日」と見出を置いて一寸考へた。何も浮んで来なかつたので、一昨年(をととし)の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北(とうぼく)と云ふ謡(うたひ)をうたつたところ、虚子が鼓(つゞみ)を打ち出したので、余の謡が大崩(おおく…

森鷗外「靜(しづか)」

磯ノ禪師。(珠數をつまぐる。)いゝえ。どこにをりましても、同じ火宅の中でございます。窮屈な事はございません。

夏目漱石「元日」

元日を御目出たいものと極(き)めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫(そ)れに雷同してゐるうちは新聞社が困る丈(だけ)である。雑録でも短篇でも小品でも乃至(ないし)は俳句漢詩和歌でも、苟(いやし)くも元日の紙上にあらはれる以上は、いくら元日ら…

森鷗外「靜(しづか)」

○わたし、赤ちゃんがいつまでも生れなければ好(い)と思つたわ。

夏目漱石『満韓ところどころ』

かう云ふ連中だから、大概は級の尻の方に塊(かた)まつて、何時(いつ)でも雑然と陳列されてゐた。余の如きは、入学の当時こそ芳賀矢一の隣に坐つてゐたが、試験のあるたんびに下落して、仕舞には土俵際からあまり遠くない所でやつと踏み応えてゐた。それでも…

森鷗外「靜(しづか)」

怪しき漁師。(忽ち荘重なる語氣にて。)殺せ。右の手の邪魔になると云つて、左の手を切る。切つた左の手の力を右の手に添へようとする。右の手を大事にするが好(い)い。右の手の指を大事にするが好い。己(おれ)は左の手を惜みはせん。左の手の指を惜みはせん…

夏目漱石『満韓ところどころ』

余は此処で橋本と一所に予備門へ這入(はい)る準備をした。橋本は余よりも英語や数学に於て先輩であつた。入学試験のとき代数が六づかしくつて途方に暮れたから、そつと隣席の橋本から教へて貰つて、其御蔭(おかげ)でやつと入学した。所が教へた方の橋本は見…

森鷗外「團子坂」

男。あなたはいつでも清い交際といふことを言つてゐるでせう。あの清いといふのが、情緒の薄明(うすあかり)で見るから、清いのです。僕はわざ/\強い、caustic(コオスチック)な藥(くすり)なんぞを使つて分析するのではありません。唯(ただ)自ら欺きたくない…

夏目漱石『満韓ところどころ』

朝起きるや否や、もう好からうと思つて、腹の近所へ神経を遣つて、探りを入れて見ると、矢ツ張り変だ。何だか自分の胃が朝から自分を裏切らうと工(たく)んでゐる様な不安がある。さて何処が不安だらうと、局所を押へに掛ると、何処も応じない。たゞ曇つた空…