2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

山田太一『逃げていく街』

結局のところドラマというのは、要約を憎む人々のものなのではないだろうか、(などとドラマを要約すると、それから漏れるものをドラマから沢山感じてしまう人々のものなのではないか、だからこそ論文ではなくドラマを求めてしまうのではないか)などと思う…

山田太一『逃げていく街』

明治の人たち、たとえば『坊ちゃん』に出てくる赤シャツなどという人たちは一種の近代主義者であったわけですが、そういう人たちは自分の軽佻浮薄をよく知っていたと思うのです。ぼくは、軽佻浮薄にならなければ近代化できなかったやりきれなさが明治にはつ…

山田太一『逃げていく街』

しかし、無論、地道な生活者を嘲笑う視点は、なければならないはずである。彼らが無謬な訳がない。しかし、日本の社会から、なんとそういう視点が失われてしまったことだろう。それはつまり、まだまだ生き続けると思っている人ばかりのせいではないか? 寺山…

山田太一『逃げていく街』

若年「ここより他の場所」に多くを求め、気がつくと「ここ」にこそ全てがあったという認識の型があるが、どのくらい周囲の「つまらぬ現実」に目をそそぐことが出来るかは、その人間のその社会の成熟度を物語るものかもしれない。

向田邦子「中野のライオン」

記憶や思い出というのは、一人称である。 単眼である。 この出来ごとだけは生涯忘れまいと、随分気張って、しっかり目配りをしたつもりでいても、衝撃が大きければ大きいほど、それひとつだけを強く見つめてしまうのであろう。

向田邦子「男性鑑賞法――1 宮崎定夫(ヘア・ドレッサー)」

女は気まぐれである。 そして、女の髪の毛はもっと気まぐれである。

向田邦子「一冊の本」

初めて手にした本は、初恋の人に似ています。初めて身をまかせた男性ともいえるでしょう。

向田邦子「潰れた鶴」

歳月は女の子を待ってくれない。

安岡章太郎『僕の昭和史』

何年か前に、ウイリアム・フォークナーが日本へやってきたとき、「日本人諸君の苦しみはよくわかる、われわれ南部の者も同じく戦争の敗者だからだ」と言ったのを、僕は何かで読んで覚えていた。フォークナーのいう「戦争」は南北戦争のことだという。百年前…

安岡章太郎『僕の昭和史』

しかし、僕はひるまなかったし、ヤケにもならなかった。落胆したり絶望したりするのは、まだ自分に幻想を持っていられるときのことだ。僕にはもはや、そんな抱負や期待は何もなかった。僕は、ただ短い行間にどんな小さなことでも自分の知り得たこと、自分の…

安岡章太郎『僕の昭和史』

そういえば太宰治がこの年の六月、入水自殺をとげたというのを聞いて、僕は衝撃をうけると同時にホッとした。

安岡章太郎『僕の昭和史』

体験といえば、いまの自衛隊でも民間会社の新入社員を体験入隊させることがあるらしい。それにはそれなりの効果はあるのだろうが、じつはそれは何かを体験したことにはならないだろう。いずれ〝体験のための体験〟などというものは、現実ばなれのした特殊な…

安岡章太郎『僕の昭和史』

たしかに、戦争や敗戦が大きな共通体験であったことは間違いないが、その部分部分を取り上げて、おたがいに語り合おうとすると、同じ学年上りの〝戦中派〟同士でも学年のちょっとした違いから、話がまったく嚙み合わなくなって、いったい何が共通体験かと思…

安岡章太郎『僕の昭和史』

大袈裟なことを言っていると思われるかもしれないが、後年、戦争のきびしくなった頃、僕らは実際に二、三箇月の生れ月の違いが生死の別れ目になるという妙な運命にあわされた。まして一年二年という年齢の違いは、平時の十年二十年に匹敵する差違を、われわ…

丸山健二『生きるなんて』

この世を生きる意味など、あなたのためには用意されていません。あなたばかりか、誰のためにもそんなものはないのです。早い話が、存在するのに意味など無用だということです。意味無しでも存在できるのが存在というものなのです。

丸山健二『生きるなんて』

言い換えれば、幸福を追い求めるということは、意識する、しないにかかわらず、他者の不幸に期待するということでもあるのです。自分と、自分の好みの関係者以外の人間は不幸であってもらったほうが都合がいいということにもなりかねません。

丸山健二『生きるなんて』

何百回でも言いますが、あなたはあなたが決めつけているほど弱い人間ではありません。また、無能でもありません。 そう思うのは、まだ何に対して挑んでもみないうちから、自分で勝手に思い込んでいるからです。逃げられるうちは逃げたい、庇ってもらえるうち…

丸山健二『生きるなんて』

あなたを救うのはあなた自身です。 誰かに叱って欲しいと思う前に、自分で自分を叱り飛ばす習慣を身につけてください。親代わりの人間を求める前に、あなたがあなたの親になってください。

丸山健二『生きるなんて』

不安や心配に覆われたときこそ、あなたの真価が問われているのです。それに、何回でも繰り返しますが、あなたよりあなたのことを真剣に考えてくれる者はいません。そしてあなた自身が、あなたが思っている以上に頼りになる、真の友人なのです。

松浦理英子『優しい去勢のために』

当代の若者に限らず、もともと人は滅多に恋愛などしないものである。万葉集の昔から誰もが恋愛のイメージは抱いているけれども、生涯に一度恋愛ができれば幸運であって、たいていの人は〈準恋愛〉の相手を伴侶とし本格的な恋愛は経験しないまま一生を過ごす。

松浦理英子『優しい去勢のために』

最初の? いや、柔らかで無力で小さな存在が発しているとは思えぬほど激しいあの搔(か)き毟(むし)るような泣き声は、その後人が何十年生きてもどれだけの技を尽くしても越えられない最初にして最後の完璧な〈表現〉なのではないだろうか? 何をいかにして…

松浦理英子『優しい去勢のために』

生まれていちばん初めに何をした? 泣いた。

池波正太郎『映画を見ると得をする』

芝居・映画を長いこと観続けていると、だんだん人間が、 「灰汁ぬけてくる……」 ものなんだよ。粋な人間になって行くんです。着ているものがどうとかいうことではなくてね。人間の「質」が違ってくる。

池波正太郎『映画を見ると得をする』

切った身銭は、いつか何らかのかたちで必ず自分に帰ってくるんですよ。

池波正太郎『映画を見ると得をする』

何かにつけて身銭を切ることを覚えると、三年たてば本当に人間の大きさが違ってくる。それは神経の回りかたが違ってくるからですよ。全部それが仕事に影響してくる。神経の回りかたというのは一つですからね。

池波正太郎『映画を見ると得をする』

いくつもの人生を観ること、それが映画を観ることなんだ。

開高健「故郷喪失者の故郷」

私の右手は私の左手がすることを、四十五年同棲しているはずなのに、やっぱり不知不識(しらずしらず)のままでいるが、それでも、手を使えば、おびただしいものが、こめられる。手は故郷である。

開高健「国亡びてわが園を耕やす」

〝事実〟と呼ばれるものにはフィクションで書いたほうが本質が明瞭にあらわれると感じられるものと、ノン・フィクションのほうがいいと感じられるものと、二種類あるような気がする。

開高健「十年ののち影もなく」

プラトンは同情はつねに何がしかの軽視が含まれていることを賢く指摘したが、おなじように苦悩にも甘美な偽善が含まれやすいものであるということを痛感させられた。

立原正秋「猷修館往還」

しかし、あの時分俺は、生きのびたことに自己嫌悪を感じながら、生きなければならない、と思った。