2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧
人間というものは、いつも時と場合にぴったり合わないことにばかりに出くわしているので、つまりは不調和や不釣合いの雑音に慣れ、いわば不協和音の曲を子守歌にして眠ってしまうわけである。ところが、なにか、いかにもしっくりしたことが起こると、たちま…
「だが、遠い昔の伝説なんて昔の彫刻から思いついてこしらえあげたものが多いのを、あんたはご存じないのかな」
ジャーナリストの習慣として、話の結びをその冒頭にもって来て、それを見出しと称するのがつねである。また、《ジョーンズ卿死す》というニュースを、そもそもジョーンズ卿とやらが生きていたことも知らなかった人たちに伝えるのがジャーナリズムというもの…
「なにが不思議だと言って、あなたほど不思議なものはありませんわ」と娘はさじを投げた格好で言った。「でも、あなたの不思議さのなかにはなにか中心がありそうだわ」 「なによりもおそろしいのは、中心のない迷路です。だからこそ無神論者は夜ごと悪夢にう…
「あんたはいつも忘れておいでですよ」と神父は述べた――「その信頼にたる器械を動かすのは、いつも信頼できぬ器械だということをね」 「と言うと?」 「つまり人間ですよ。わたしの知っているかぎり、人間こそいちばん信頼できぬ器械なんです」
「三というのは神秘的な数だ。三という数は物事の結末をつける数だ」
なにか大きな理論にかぶれている人は、えてしてそれをつまらないものにまで適用しがちなものだ。
「ともかく、こういう悪は、その性質上、つぎからつぎへと地獄の戸をあけてしだいしだいにせまい部屋に入って行くものなんだよ。犯罪がよからぬものであるという真の理由は、人間がしだいに奔放になるからでなく、ただただ卑しくなるばかりだからさ」
「賢い人はどこに樹の葉を隠すか? 森のなかだろう。だが、森がなかった場合にはどうするかな?」 「さて、さて」とフランボウはいらだたしげにさけんだ――「どうするんでしょうかね?」 「葉を隠すために、森を生やすだろうよ」とあいまいな声で神父が言う――…
「たったひとつの言葉を捜しているんだよ」とブラウン神父。「どこにも存在せぬことばをな」
「兄さんの道楽は神を冒瀆することでしょう」心のなかの唯一の生きた部分を刺された宗教家はやり返した。「でも、たとえ神を怖れないとしても、人を怖れなければならない理由は大ありなんです」
伝統を保存するのは、だいたい貧乏人なのであって、貴族は伝統に生きずして流行に生きる。
「破滅の宿命というものを信じますか」落ち着きのないサラディン公爵が不意に訊いた。 「いいや」と客人は答えた。「最後の審判の日なら信じます」
「奇蹟は質こそ神秘的だが、その起りかたは単純だ」
「現代人の頭は、いつでも、二つの異った考えを混同している――つまり、ふしぎなるものという意味での神秘と、複雑なるものという意味での神秘とをいっしょくたにしているのだな。そこに、現代人が奇蹟を信じえぬ理由の半分がある。奇蹟は驚くべきものではあ…
「あなたがたは、肉体ばかりか精神のことも多少は知っておく必要があるでしょう」と神父は答えた――「わたしらのほうも、精神ばかりか肉体のことも多少は知っておかねばならぬのです」
「どんどんやってください」神父はいたって穏やかに言った。「真相を見つけようとしているだけのことじゃありませんか。なにをこわがっているんです」 「真相が見つかるのがこわい」とフランボウ。
「心理学とは、いかれてしまうことなり」
「こんなことに気づいたことはありませんかな? つまり、他人というものは、こちらの言ったことに答えようとしないということに? 人はこちらの言ったことの意味にたいして――もしくは人が相手はこういうつもりなんだろうと考えたその意味に対して――答えるの…
「だが、神々しい作品にしろ、悪魔的な作品にしろ、芸術作品と名のつくものには、かならず一つの特長がある――いかに仕あがりが複雑に見えようと、中心はあくまで単純であるというのがそれです」
神父は、跳躍するために走る人間を見たことがある。すべるために駈ける人も見た覚えがある。が、いったい、歩くために走るというのはどうしたわけなのか? あるいは、走るために歩くのはなんとしたことであろうか?
「犯人は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎぬのさ」
奇蹟というものの一番信じがたい点は、それが現に起るということだ。
遅かれ早かれ(それもどっちでもいいことだ)。
「――きみ、人は自分の望むことをすぐには信じられないさ。実践が大事だね」
トムも孤独だがわたしとおなじように孤独ではない。
それにしても、死んでいくのはこのわたしだ。
「おれにはわからないことがおころうとしているんだ」
わたしは何か途方もなく重いものに圧(お)しつぶされたような感じがした。死の思いでもなく恐怖でもない。名のないものだった。
ひとりぼっちだとしまいには気持がいらいらする。