2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧
書くことにかかわる真実なら、まだ何ひとつ作品を公にしない前であっても悟ることができるかもしれないが、生きることにかかわる真実は、時すでに遅しというときになってしか悟り得ないものである。
愛するということのうちにはすでに相手の死を覚悟することが含まれているものだからだ。
たぶん、作家への愛こそ、最も純粋で揺らぐことのない愛のかたちをとるものなのだろう。また、そうだからこそ、作家を擁護するのもなおさら容易なわざになる。
いったい、彼らが本当に探し求めているのは何なのだろう? 表向き探っているかのごとくにみえるものの奥に何かがあることは明らかである。その何かとは、ことによると、人間というものがどうしようもなく堕落しきっているという事実、人生とは白痴の頭のなか…
過去というものは、あるときは油まみれでつかまえにくい豚であり、あるときは洞窟にひそむ熊であり、またあるときは、そう、鸚鵡のきらめき、森のなかからあざけるようにこちらを見ている二つのキラキラ光る目のようなものにちがいないのである。
われわれはとかく過去に対して要求を強く持ちすぎ、こういうふうに何か確かに昔を肌で感じさせてくれるものがないと不満に思う。しかし、過去がわれわれに付き合わなければならない理由などあるだろうか?
過去とは、遥か遠くをさらに遠ざかっていく海岸線のごとくで、われわれは皆、同じ一つの船に乗りこんでこれを見ているようなものです。船尾の手すりに沿って、ずらりと望遠鏡が並んでいます。どの望遠鏡も、それぞれ一定の距離で岸をはっきり見ることができ…
では、もっと新しい作家たちはどうか? 現代の作家たちは? そう、確かに彼らはそれぞれが意図する何かひとつのことについてはなかなか達者だが、そもそも文学というものがいくつかの業を同時に為しとげるものだということを悟っていないようだ。
僕はなにも批判しているわけではなく、ただ観察しているだけである。
彼が軽蔑していた町、かわりに彼自身も無視されていた町を越え、視線は遥か彼方に向けられている。
わたしが愛する無為は、なにもせずに腕をこまねき、じっと動かないばかりか、なにも考えないでいるのらくら者の無為ではない。それは、なにかするというのではないが、たえずからだを動かしている子供の無為であり、手をやすめて無駄ばなしをしている老人の…
恋は、それをめざめさせた当のひとに知られてしまうと、はるかに耐えやすくなるものだ。
ものを考える人といっしょに暮らすのがいいと思われるのは、とくに淋しく暮らしているときである。
誰でも気づいていることだが、たいていの人間は一生のうちにしばしば自分とは似ても似つかぬものとなり、まるでちがった人間に変身したようにみえる。
かりそめにも学問がほんとうにすきな人であれば、それと取り組んでまず感じるのは、多くの学問がたがいにひきつけあい、助けあい、照らしあい、そして一つの学問は他の学問なしではすまされぬ、という相互の関連性である。もちろん、人間の精神はあらゆる学…
いよいよ、もう話ができなくなり、臨終の苦しみがはじまってきた時に、夫人は一つ大きな放屁をした。「あ」と、ねがえりをしながらいった。「おならをする女はまだ死んじゃいない。」これがこのひとのいった最後の言葉であった。
子供に悪への第一歩をふみ出させるものは、ほとんどいつも悪く導かれた善良な感情である。
自分がいちばんよく知っていることを皆が話していても、口をひらく勇気がない。
悲しいことに、ある種の人間は、とりわけ幸福に反抗しつづける。彼らは無能力な、不器用な人々なのである。
「でもお父さん」と、あの子は言った、「僕だって人々の幸福は望んでいますよ」 「いいや、お前は人々の忍従を望んでいるのだ」 「忍従の中にこそ幸福はあるのです」 つまらぬ論争をするのは厭だから、これには何も答えなかった。けれど私は、人々が却って幸…
もし人間に、いい加減な反対を唱えて嬉しがる癖がなかったら、世間の物事は随分すらすら運ぶに違いない。周囲の者の、「あいつに何ができるものか」と繰返す声が耳に入るばかりに、私たちは、したいと思うあれやこれやのことを、子供の頃からどれだけ手を着…
死とは、手なのだった。
なにも、死の存在以外には。
「クロード、たとえそれがどんなに遠い話でも……死に直面して驚くことは、突然自分がなにを望んでいるかがわかるってことだ、もはやなんのためらいもなくね……」
「ぼくが死を考えるのは死ぬためじゃない、生きるためだ」
「人生だなんてけっしてなんの役にもたたないものさ」 「でも人生のほうはぼくらをなにものかにしてくれますよ」 「いつでもそうとはかぎらないね…… きみは自分の人生になにを期待してるんだね?」
君は外界に対する自己の関係を失うのを恐れている。だが、その関係とはいったいどういうものなのか? どういうことなのか?
ばかばかしくて恐ろしい死の迷信にこれ以上決して悩まされないようにするには、次のことを知れば充分なのだ。即ち、わたしの生きる根本をなす一切はわたし以前に生き、とうの昔に死んだ人々の生命から成立っていること、従って、生命の法則をまもり、自分の…
人間にとって疑いなく明らかなもの――彼の理性的意識――はそれが単純でないためによく分らないものに思え、一方、疑いなく捉えがたいもの――無限で永久の物質――はそれが遠くはなれていて単純に見えるために最も分りやすいものに思えるのだ。
「つまりだね、世間というやつはある種の告白を愛するものなんだ」