2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

説経節「苅萱」

石童丸は聞こしめし、「あのごとくに、天を飛ぶつばめさよ、地を這う獣(けだもの)、ろうか(江河)山野のうろくず(魚類)までも、父よ母よとましますが、千代鶴姫や石童丸には、母という字ましませど、父という字が御ざないよ」

説経節「苅萱」

親ありながら、親ない子と呼ばせんことの無念さよ。

説経節「苅萱」

「それ出家は、人の栄ゆるをも羨まず、衰うるをも悲しまぬが出家ぞよ」

説経節「苅萱」

蛇身(じゃしん)と書いて女と読む

説経節「愛護若」

根笹に霰(あられ)と召されしは、花の袂が触(さわ)らば落ちよとこれを読む。恋を七つに分けられたり。見る恋、聞く恋、語る恋、会うての恋に別るる恋、壁に隔たりて忍び恋、雲に懸橋(かけはし)中(なか)絶えて、忍ばぬ恋という。

説経節「小栗判官」

「変る心の、あるにこそ、変る心は、ないほどに」

説経節「小栗判官」

こんか坂にも、着きしかば、これから湯の峯へは、車道の、嶮(けわ)しきにより、これにて、餓鬼阿弥を、お捨てある。大峯入りの、山伏たちは、百人ばかりざんざめいて、お通りある。この餓鬼阿弥を御覧じて、「いざ、この者を、熊野本宮湯の峯に入れて、と…

説経節「小栗判官」

「海道七か国に、車引いたる人は多くとも、美濃の国、青墓の宿、万屋の君の長殿の、下水仕、常陸小萩と言いし姫、さて青墓の宿からの、上り大津や、関寺まで、車を引いて、まいらする。熊野本宮、湯の峯に、お入りあり、病(やもう)本復するならば、かなら…

説経節「小栗判官」

「この者を、藤沢の御上人の、明堂聖の、一の御(み)弟子に渡し申す。熊野本宮、湯の峯にお入れありてたまわれや。熊野本宮湯の峯に、お入れありてたまわるものならば、浄土よりも、薬の湯を上げべき」

説経節「小栗判官」

「この者を、藤沢の御上人の、明堂聖(めいどうひじり)の、一の御(み)弟子に渡し申す。熊野本宮、湯の峯に、お入れあって、たまわれや。熊野本宮、湯の峯に、お入れあって、たまわるものならば、浄土よりも、薬の湯を上げべき」

説経節「小栗判官」

人は、運命、尽きょうとて、智恵の鏡も、かき曇り、才覚の花も、散り失せて、昔が今に至るまで、親より、子より、兄弟より、妹背夫婦の、その中に、諸事のあわれをとどめたり。

「陰翳礼讃」谷崎潤一郎

あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおり風のおとずれのあることを教えて、そぞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器というものがなかったなら、ろうそくや燈明のかも…

「余白」幸田文

まぬけ鏡は裏返した畳の目と白々と薄手な天井板を映して、つくねんと邪魔っけに居すわって、三日過ぎ四日過ぎた。私はせめてその裸の表へ覆いをかけてやろうと思いたち、物差しを取った。測っていると、ふと余白があるなと気がついた。ちまちまと、いつこう…

「昔の仲間」小沼丹

暗い長いトンネルがあって、トンネルを出てみたら、いつの間にか座席のあちらこちらに空席ができていて、座席の主は帰って来ない。棚の上に残されたのは、追憶というトランクだけである。伊東の座席も空席のままついにふさがらない……。雨に濡れる青葉を見な…

「ねずみ花火」向田邦子

ただ何かのはずみに、ふっと記憶の過去帳をめくって、ああ、あの時こんなこともあった、ごく小さな縁だったが、忘れられない何かをもらったことがあったと、亡くなった人達を思い出すことがある。 思い出というのはねずみ花火のようなもので、いったん火をつ…

「細雪」谷崎潤一郎

あの、神門(しんもん)をはいって大極殿を正面に見、西の回廊から神苑(しんえん)に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅(べに)しだれ、――海外にまでその美を謳われているという名木の桜が、今年はどんな風であろうか、もうおそくはないであろうかと気をもみな…

「ノルウェイの森」村上春樹

やわらかな月の光に照らされた直子の体はまだ生まれおちて間のない新しい肉体のようにつややかで痛々しかった。彼女が少し体を動かすと――それはほんの僅かな動きなのに――月の光のあたる部分が微妙に移動し、体を染める影のかたちが変った。丸く盛りあがった…

「伊豆の踊子」川端康成

船室のランプが消えてしまった。船に積んだ生魚(なまざかな)と潮の匂いが強くなった。まっ暗ななかで少年の体温に温(ぬくも)りながら、私は涙を出まかせにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろこぼれ、その後には何も残らないような…

「暗夜行路」志賀直哉

村々の電燈は消え、その代わりに白い煙がところどころに見え始めた。しかしふもとの村はまだ山の陰で、遠いところよりかえって暗く、沈んでいた。謙作はふと、今見ている景色に、自分のいるこの大山(だいせん)がはっきりと影を映していることに気がついた。…

「ふなうた」三浦哲郎

突然、ピアノの音が止んだ。曲が終わったのではなく、安楽椅子の方からきこえてくる呻き声に弾き手が怯えたからである。 みんなは無言で不安そうに市兵衛を見つめた。 けれども、市兵衛は苦しくて呻いているのではなかった。呻くように泣いているのでもなか…

「阿部一族」森鷗外

風鈴が折々思い出したようにかすかに鳴る。その下には丈の高い石の頂を掘りくぼめた手水鉢がある。その上に伏せてある巻物のひしゃくに、やんまが一匹止まって、羽を山形に垂れて動かずにいる。 一時(ひととき)立つ。二時(ふたとき)立つ。もう午(ひる)…

「水辺のゆりかご」柳美里

海を左にながめながら歩いていて、つまずいてしまった。砂浜にうもれているさびた鉄のパイプ。砂をほると、乳母車の骨と朽ちた布が姿をあらわした。 私は骨格だけの乳母車にからだをおしこんだ。目のまえにはおおきな蝙蝠(こうもり)のような海がひろがって…

「老年」藤沢周平

センチメンタルで甘い歌声や歌詞の一節にふと胸をつまらせたりする。だが胸がつまるのは感傷のせいではない。帰らない青春といった感傷の中には、まだ現在と青春をつなぐみずみずしい道が通じているだろう。だが老年の胸をつまらせるのは喪失感である。道は…