2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋 訳)

時間と勤労が、毎日、あたらしい知識をうみだすのである。

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋 訳)

そして、人間の状態は(中略)各人の各人に対する戦争の状態なのであり、このばあいに各人は、かれ自身の理性によって統治されていて、かれが利用しうるものごとで、かれの敵たちに対してかれの生命を維持するのに、かれのたすけになりえないものは、なにも…

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋 訳)

人びとを平和にむかわせる諸情念は、死への恐怖であり、快適な生活に必要なものごとに対する意欲であり、それらをかれらの勤労によって獲得する希望である。そして理性は、つごうのよい平和の諸条項を示唆し、人びとはそれによって、協定へとみちびかれうる。

ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋 訳)

《諸政治国家のそとには、各人の各人に対する戦争がつねに存在する》これによってあきらかなのは、人びとが、かれらすべてを威圧しておく共通の権力なしに、生活しているときには、かれらは戦争とよばれる状態にあり、そういう戦争は、各人の各人に対する戦…

マルクス、エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛、向坂逸郎 訳)

ある時代の支配的思想は、つねに支配階級の思想にすぎないのである。

マルクス、エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛、向坂逸郎 訳)

ブルジョアがその失われるのを惜しんでいる教養とは、非常な多数者にとっては、機械になるための修養である。

マルクス、エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛、向坂逸郎 訳)

一言でいえば、ブルジョア階級は、かれら自身の姿に型どって世界を創造するのである。

マルクス、エンゲルス『共産党宣言』(大内兵衛、向坂逸郎 訳)

自分の生産物の販路をつねにますます拡大しようという欲望にかりたてられて、ブルジョア階級は全地球をかけまわる。どんなところにも、かれらは巣を作り、どんなところをも開拓し、どんなところとも関係を結ばねばならない。 ブルジョア階級は、世界市場の搾…

エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生・杉山忠平 訳)

イングランドの工業上の偉大さは、労働者を野蛮にとりあつかうことによってしか、健康を破壊することによってしか、全世代を社会的・肉体的・精神的に放置することによってしか、維持することができないということだけである。

エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生・杉山忠平 訳)

ブルジョアジーは労働者にたいし必要なだけの生活しか許さない以上、彼らが自分たちの利益になるだけの教育しか労働者にほどこさないとしても、あやしむにたりない。しかし実際には、これほどの教育もほどこされてはいない。

エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生・杉山忠平 訳)

しかし社会が何百人ものプロレタリアを、あまりにもはやい不自然な死に、剣や弾丸による死のように強制的な死におちいらざるをえないような状態におくならば、社会が何千人もの者から必要な生活条件を奪いとり、彼らを生活できない状況におくならば、またこ…

エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』(一條和生・杉山忠平 訳)

競争とは、近代市民社会で支配している万人対万人の戦争の、もっとも完全な表現である。この戦争、すなわち、生活のための、生存のための、あらゆるもののための戦争、したがってまた万一の場合には生死をかけた戦争は、社会のさまざまな階級のあいだだけで…

デカルト『方法序説』(谷川多佳子 訳)

人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どん…

デカルト『方法序説』(谷川多佳子 訳)

したがって、そこからわたしが引き出した最大の利点は次のことだった。つまり、われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得し…

デカルト『方法序説』(谷川多佳子 訳)

自分にかんすることでは、どれほど考え違いをしやすいか、友人の判断が、わたしたちに好意的であるとき、どれほど疑わしいものになりかねないか、わたしも知っている。

デカルト『方法序説』(谷川多佳子 訳)

きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。

J.ミシュレ『フランス革命史』(桑原武夫/多田道太郎/樋口謹一 訳)

このことばは、一瞬ロベスピエールを動揺させたようだ。彼はコミューンの印のある紙をとりあげた。そこには蜂起へのよびかけが全文、書きあげられてある。彼はゆっくりとしっかりした手で三つの文字を書いた。この文字は今日なお目にすることができる。Rob………

J.ミシュレ『フランス革命史』(桑原武夫/多田道太郎/樋口謹一 訳)

人民は、あらゆる悪を、事物ではなく人物に帰する。人民は悪を人格化するのだ。

J.ミシュレ『フランス革命史』(桑原武夫/多田道太郎/樋口謹一 訳)

革命はかつて宗教であった。いま革命は警察となる。

J.ミシュレ『フランス革命史』(桑原武夫/多田道太郎/樋口謹一 訳)

そこに歴史があり、現実があり、実証があり、持続がある。そして残余は無。

J.ミシュレ『フランス革命史』(桑原武夫/多田道太郎/樋口謹一 訳)

熱っぽさ、胸にしみとおるメロディ、これこそルソーの魔法であった。『エミール』や『社会契約論』のなかにある力は、議論の余地があり、打ち負かすこともできよう。しかし、その『告白』と『(孤独な散歩者の)夢想』によって、つまりその弱さによって、ル…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

したがって、イメージされた神の死は、同時に、いまだ自己として確立されない抽象的存在としての神の死である。そこには、「神そのものが死んだ」という不幸な意識の苦しみの情がこめられている。このつらい表現は、内奥にひそむ単純な知の表現であって、そ…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

不幸な自己意識は、抽象的人格が現実に承認されること、しかも、純粋な思考のうちで承認されることが、どういうことなのかを知っている。そのような承認が実は完全な喪失であることを知っている。不幸な自己意識そのものが自己の喪失の意識であり、自分の知…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

自己には自分を外化する力が――自分を物にし、その存在に耐えていく力が――欠けているのだ。自己は自分の内面の栄光が行為と生活によって汚されまいかと不安をいだいて生きている。心の純粋さを保持するために、自己は現実との接触を避け、抽象の極に追いこま…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

多くの性質がたがいに触れあうことも打ち消しあうこともなく、それぞればらばらに存在するための共通の媒体――「も」の媒体――だというのが、物の本当のありようなのである。

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

ただ、こういう性質もあり、こういう性質もあり、と、「も」が続くだけで、この「も」こそが純粋で一般的な媒体のありようを――たくさんの性質をまとめあげる物としてのありようを――示している。 ※太字は出典では傍点

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

「いま」はまさに「このいま」として示される。が、示された「いま」はもう「いま」ではない。いまある「いま」は示された「いま」とは別の「いま」であり、こうして、「いま」とは、いまあるがゆえにもういまではないようなものだとわかる。わたしたちに示…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

ともあれ、まちがいを犯すのではないかという心配が、学問にたいする不信の念をかきたて、学問が余計な配慮なしに仕事にとりかかり、認識を実行することを妨げているとすれば、視点を変えて、この不信の念にこそ不信の目をむけ、まちがいをおそれることがす…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

精神は絶対の分裂に身を置くからこそ真理を獲得するのだ。精神は否定的なものに目をそむけ、肯定のかたまりとなることで力を発揮するのではない。なにかをさしだされたとき、それは無意味でまちがっている、といって、さっさとその前を去り、安んじて別のも…

ヘーゲル『精神現象学』(長谷川宏 訳)

せっかちな人は途中経過なしにいきなり目標を達成しようと考えるが、それは不可能な望みというものだ。途中のどれもこれもが大切なのだから、長い道のりを辛抱して歩かなければならない。また、一つ一つを丁寧に見てもいかねばならない。一つ一つがまとまっ…