2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

夏目漱石『硝子戸の中』

私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。

高青邱「短歌行(たんかかう;短歌行)」(抄) (蒲池歡一)

人生世に處る、 能く幾何ぞや。 日は西に、月は東に、 百齡終り易し。 じんせいよにをる、 よくいくばくぞや。 ひはにしに、つきはひがしに、 ひゃくれいをはりやすし。 人生處世 能幾何哉 日西月東 百齡易終 人はこの世に生きるとて、 幾年月か永らえよう。…

鴻上尚史『鴻上夕日堂の逆上』

問題は自分で走ること。エンストしようが、倒れようが、自分で走ること。いつのまにか、「何か」によって走らされている状態におちいらないこと。自分で走っているのか、走らされているのか分からない状態に、おちいらないこと。「何か」に「誰か」に「正体…

韓愈「雜詩」(抄) (原田憲雄)

古史 左右に散じ 詩書 後前に置く 豈に殊ならむや 蠧書蟲の 文字の間に生死するに 古道は自らを愚憃にし 古言は自らを包纒す 當今は固より古しへと殊なれり 誰と與にか欣歡をなさむ こし さいうにさんじ ししょ こうぜんにおく あにことならむや としょちゅ…

カール・マルクス『資本論』(向坂逸郎 訳)

何事も初めがむずかしい、という諺は、すべての科学にあてはまる。

杜甫「飮中八仙の歌(いんちゅうはっせんのうた;飮中八仙歌)」(抄) (目加田誠)

李白は一斗 詩百篇 長安市上 酒家に眠る 天子呼び來れども船に上らず 自ら稱す 臣は是れ酒中の仙と りはくはいっと しひゃくへん ちゃうあんしじゃう しゅかにねむる てんしよびきたれどもふねにのぼらず みづからしょうす しんはこれしゅちゅうのせんと 李…

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上英廣 訳)

かつては神を冒瀆することが、最大の冒瀆であった。しかし、神は死んだ。したがってこれら神の冒瀆者たちもなくなった。いまや最も恐るべきことは、、大地を冒瀆することだ。究めることのできない者を設定し、そのえたいの知れぬ臓腑を、大地の意義以上に高…

黄山谷「張叔和に贈送す(ちゃうしゅくわにそうそうす;贈送張叔和)」(抄) (倉田淳之助)

我れ養生の四印を提げ 君が家に有る所 更に君に贈らん 百戦 百勝も 一忍に如かず 萬言 萬當も 一默に如かず 簡擇すべき無くんば 眼界 平 秋毫を藏さざれば 心地 直し われやうせいのしいんをあげ きみがいへにあるところ さらにきみにおくらん ひゃくせん ひ…

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』(富田彬 訳)

「女の子は、結婚がなによりもお好きだが、たまにちょっと失恋するのも、わるくないと見えるね。失恋すれば、なにかかにか考えさせられるし、仲間よりはなんとなく偉そうに見えるものね。お前の番はいつまわってくるのかね?」

元好問「兵を陽極北山の羊谷に避け、石龕に題す(へいをやうきょくほくざんのやうこくにさけ、せきがんにしるす;避兵陽曲北山之羊谷、題石龕)」(抄) (鈴木修次)

世故 人を驅る眞に力有り せこ ひとをかるしんにちからあり 世故驅人眞有力 世俗のできごとは、人を、ほんとうに、確実に、かりたてる

森鷗外『渋江抽斎』

わたくしの抽斎を知ったのは奇縁である。

王維「元二の安西に使するを送る(げんじのあんせいにつかひするをおくる;送元二使安西)」(全) (小林太市郎、補 原田憲雄)

渭城の朝雨 輕塵を裛す 客舎青青 柳色新たなり 君に勸む 更に盡せ 一杯の酒 西 陽關を出づれば 故人無からん ゐじゃうのてうう けいぢんをうるおす かくしゃせいせい りうしょくあらたなり きみにすすむ さらにつくせ いっぱいのさけ にし やうかんをいづれ…

「かみなりむすめ」(斎藤隆介・作/滝平二郎・絵)

茂助は すわりなおして おシカと むかいあった。 じゃ、いいか! それ! セッセッセ 一に たちばな 二に かきつばた 茂助の こえにあわせて おシカも うたいながら、手を片(かた)かたずつ チョンチョンと うちあわせ はじめた。ときどき 手の甲を チョンチョ…

ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』(中野圭二 訳)

「こういうふうに見たらどうだい」そのときフランクはぼくに講義をした。「ティーンエージャーになるまでが、一生の半分以上もかかるくらい長く感じられるのはなぜか。子供時代は、――自分が子供でいるときには――永久に続くように思われるのはなぜなのか。少…

趙執信「太白酒樓歌(たいはくしゅろうか;太白酒樓歌)」(抄) (近藤光男)

文章 故と是れ 身外の物 敢て 麯糵と 相爭衡せんや 文章 人に殉じ 酒己に殉ず ぶんしゃう もとこれ しんぐゎいのもの あへて きくげつと あひさうかうせんや ぶんしゃう ひとにじゅんじ さけおのれにじゅんず 文章故是身外物 敢與麯糵相爭衡 文章殉人酒殉己 …

ガルシア=マルケス『百年の孤独』(鼓直 訳)

「百年たたないうちは、誰もその意味を知るわけにはいかんのだ」

呉偉業「悲歌 呉季子に贈る(ひか ごきしにおくる;悲歌 贈呉季子)」(抄) (近藤光男)

人生 千里と萬里と 黯然として魂銷ゆるは 別のみ 君獨り 何爲れぞ 此に至る 山は山に非ず 水は水に非ず 生は生に非ず 死は死に非ず (中略) 患を受くるは 祇に讀書從り始る じんせい せんりとばんりと あんぜんとしてたましひきゆるは わかれのみ きみひと…

カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一 訳)

ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(ファルス)として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。

ショウペンハウエル「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」(斎藤信治 訳)

誰でもが、しっかりとまっすぐに進むことができるためには、あたかも船が底荷を必要とするように、或る程度の心労乃至苦痛乃至困窮が必要なのである。

『エピクロス――教説と手紙』(出隆・岩崎允胤(ちかつぐ) 訳)

人はだれも、たったいま生まれたばかりであるかのように、この生から去ってゆく。

セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵 訳)

しかし、生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。

オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(神吉敬三 訳)

今日の特徴は、凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにあるのである。つまり北米合衆国でいわれているように、他人と違うということ即ふしだらなことである…

エドムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(細谷恒夫・木田元 訳)

われわれはどこから手をつけてみても、次のように言わねばならない。わたしにとっても、またおよそ考えられうるいかなる主観にとっても、現実に存在するものとして妥当しているすべての存在者は、主観と相関的であり、本質必然性において主観の体系的多様性…

コリン・ウィルソン『アウトサイダー』(中村保男 訳)

人間たるものは、男も女もすべて自分のうちに究極の敵を宿しもっており、それに刃向かうことができるのは本人以外にないということは、何ものにもまして冷厳な事実であろう。贖罪の教理が発明されたのも、まさにこの真理を少しでもおそろしくなくするためで…