2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

林羅山『春鑑抄』

をもしろき事もなひに笑ふは、人をへつらふに似たぞ。 *面白くもないことで笑ったりするのは、人にへつらう気持ちがあるからだ、の意。

夏目漱石『虞美人草』

人を見て妄(みだ)りに笑うものは必ず人に求むる所のある証拠である。 *「求むる」は、報酬や利益を求める、の意。

トーマス・マン「幻滅」(実吉捷郎 訳)

「――私だって、こういう私だって、やっぱり一時は、自分に対しても他人に対しても、幸福な振りをしようと思って、そういう人間どもと一緒になって、噓をつこうと試みたものだった。しかしそんな虚栄心は、もうずっと前に打砕けてしまった。そして私は孤独な…

トーマス・マン「幻滅」(実吉捷郎 訳)

「生れてはじめて海というものを眺めた日のことを、私はよく思い出します。海は大きい。海は広い。私の視線は、岸から沖のほうへさまよって行って、解放せられることを望んだのです。しかるに、その先には水平線がありました。なぜ水平線なんというものがあ…

トーマス・マン「幻滅」(実吉捷郎 訳)

「御心配には及びません。私は私のいろんな幻滅を、一々こまかくお聞かせしはしませんから。ただこれだけ申し上げればたくさんなのです。それは、私が人生に対する大げさな期待を、因果にも一生懸命になって様々な書物で――詩人たちの作物で養ったということ…

トーマス・マン「幻滅」(実吉捷郎 訳)

「人生というものは、私にとってはまったくのところ、いろんなぎょうさんな言葉から成り立っていました。なにしろ、そういう言葉が心中に呼び起す、あの絶大な茫漠たる予感をのけたら、私は人生についてなにひとつ知っていなかったのですからね。私は、人間…

伝徳川家康『東照公遺訓』

こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。

服部土芳『三冊子』

はいかいはなくても在(ある)べし。ただ世情に和せず、人情通ぜざれば人不調(ととのわず)。 *松尾芭蕉の言葉。ある門人(路通といわれる)について、「彼が必ず俳諧の道から離れないようにしてやって欲しい」と述べた言葉に続く。俳諧の実作はなくともよい。…

『隆達節』

夢二人、覚めてみたれば只一人、夢さへ我に肝をいらする。 *「夢二人」は、夢の中では一緒だったのに。「肝をいらする」は、心をいら立たす。

トーマス・マン『ヴェニスに死す』(実吉捷郎 訳)

かれは海というものを、深い理由から愛している。――つらい仕事をしている芸術家の、安息を求めるきもちからである。そういう芸術家は、現象のもつおごりたかぶった多様性をさけて、単純な巨大なものの胸に身をひそめようとするのだ。未組織のものへ、無際限…

トーマス・マン『ヴェニスに死す』(実吉捷郎 訳)

そして結局、自分の思想や発見は、さめて考えれば全くつまらない無用なものだとわかる、夢の中の一見巧妙なある種のヒントのようなものだ、と思った。

トーマス・マン『ヴェニスに死す』(実吉捷郎 訳)

孤独でだまりがちな者のする観察や、出会う事件は、社交的な者のそれらよりも、もうろうとしていると同時に痛切であり、かれの思想はいっそうおもくるしく、いっそう奇妙で、その上かならず一抹の哀愁を帯びているものだ。ひとつのまなざし、ひとつの笑い、…

木下尚江『教育と生活問題』

先づ汝の胃を健全にせよ、汝の脳は自(おのずか)ら清朗ならん。

谷崎潤一郎『The Affair of Two Watches』

鼻は猥褻也。

井原西鶴『世間胸算用』

とかく老いたる人のさしづをもるる事なかれ。何ほど利発才覚にしても、若き人には三五(さんご)の十八(じゅうはち)、ばらりと違(たが)ふ事数々なり。 *とにかく年寄りの指図にはそむくものではない。どれ程利発であっても若い者は三五の十八というように目算…

アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

そこからほど遠からぬセーヌ河は、いわくいいがたいやりかたで女の上半身像(トルソ)を押しながしていた。それは頭も手足ももげた彫像で、しばらくまえからその出現を知らせていた数人の不良少年たちは、このトルソこそは完全無欠の肉体だ、いや新しい肉体だ…

アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

Aに行こうか、Bに引きかえそうか、Xで乗りかえようか? そうです、もちろんXで乗りかえよう。倦怠との連絡に遅れなければいいのだが! さあついた、倦怠だ、美しい平行線の数々だ、ああ! これらの平行線は、神の垂直線の下で、なんと美しいことだろう。

アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

これをいうために必要な時間がみじかければみじかいだけ、死ぬために必要な涙も少なくてすむ。

アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

いま彼女は私のはてしらぬ愛とむかいあい、大地の吐息にくもるこの鏡のまえで眠っている。眠っているときにこそ、彼女はほんとうに私のものになるのだ、私は彼女の夢のなかへ盗人のように忍びこみ、そして、まるで王冠を失うかのように、彼女をほんとうに失…

アンドレ・ブルトン「溶ける魚」(巖谷國士 訳)

公園はその時刻、魔法の泉の上にブロンドの両手をひろげていた。意味のない城がひとつ、地表をうろついていた。神のそば近く、その城のノートは、影法師と羽毛とアイリスをえがくデッサンのところでひらかれていた。〈若後家接吻荘〉というのが、自動車のス…

大岡昇平『武蔵野夫人』

彼は単に一個の怠け者にすぎなかったにも拘らず、自分では力一杯生きているつもりであった。彼は特に物事を底まで考えることが出来なかった。

内田百ケン『百鬼園日記帖』

暗い森を見てその中にゐる毛物を退治しようと思ふ子供よりも、この暗い森の中にどんな恐いものが住んでゐるだらうと感ずる子供の方が偉い人間になる。

谷崎潤一郎『蘆刈』

人間はとしをとるにつれて、一種のあきらめ、自然の理法にしたがって滅んでゆくのをたのしむといった風な心境がひらけてきて、しずかな、平均のとれた生活を欲するようになるのですね。

アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

「僕はといえば、人が褒めそやそうとしているあの隷従というものを、全力できらっているんです。隷従を強いられて、たいがいはそこからのがれられずにいる人間というものを、あわれだと感じはしますが、でも、僕が人間の味方につこうと思うのは、労働のきび…

アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

彼女は名前をいう。自分でえらんだ名前である。「ナジャ。なぜって、ロシア語で希望という言葉のはじまりだから、はじまりだけだから。」

アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

かさねていうが、私は自分が昼ひなかを歩く人間だと信じるよりも、夜のなかを歩いているほうが好きだ。働いているあいだは生きていたってしかたがない。だれしも自分自身の生活の意味の啓示を権利として期待できる出来事、私はまだそれを見つけていないかも…

アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

私はいつも、夜、どこかの森で、ひとりの美しい裸の女と出くわすことを、信じがたいほどに願ってきた。あるいはむしろ、そういう願望はいちど口にしてしまうともうなんの意味もなくなるので、私はそんな女と出くわさなかったことを信じがたいほどに悔やんで…

アンドレ・ブルトン『ナジャ』(巖谷國士 訳)

私は誰か? めずらしく諺にたよるとしたら、これは結局、私が誰と「つきあっている」かを知りさえすればいい、ということになるはずではないか? じつをいうと、この「つきまとっている」ともとれる言葉にはとまどいをおぼえる。それはある人々と私とのあい…

夏目漱石『断片』

世の中は自殺をして御免蒙る程の価値のあるものにあらず。 *前文に「面白い世の中だと云う者は小供か馬鹿である。苦しい世の中だと云うのは世の中を買いかぶった者の云うことである」とある。世の中が苦しいと言い、自殺して去りたくなるのはどこか世の中に…

寺田寅彦『藤棚の蔭から』

結局はやはり「生きたい」のである。生きるための最後の手段が死だという錯覚に襲われるものと見える。