2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

不本意に生きることのつまらなさ、味気なさ、辛さを知ったというのは、とても幸せなことだった。 それを知るとね、自分の本筋のために、あらゆる努力や投資をすることが、まったく平気になる。 それはね、どんな苦労を伴っていても、とてもとても楽しい、幸…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

答えがないこと。 それを、しんどいこと、救い難いことだと考える人が多いみたいだね。 しかしまた、答えがないということこそが、生き甲斐の核心だとも考えられる。 つまり、一人一人、全然別の存在である君や僕が、あるいはさまざまな人々が、自分の人生を…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

私の経験上、大人の男にたいして、他人がしてやれることは、きわめて限られている。それはおそらく三つしかない。 つまりお金を貸すこと、あるいは与えること(もしくは融資の保証人になること)。 人を紹介すること、つまりは「コネ」をつけてやること。 そ…

福田和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』

しかし、それ以上に、死んだ人間の、死者の視線とともに生きることぐらい大事なことはないんだ。 どんな時にも、彼は君を見ている。 その視線は、君にみっともないこと、品のないことをしないように強いるだけではない。 その視線を感じることで、君は、人生…

太宰治「書簡」(田中英光あて)

危局突破を祈る。 あせっては、いけない。まず、しずかに横臥がいちばん。

太宰治「書簡」(河盛好蔵あて)

文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)というルビをふること、大賛成。私は優という字を考えます。これは優れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう? 優しいとも読みます。そうして、この字をよく見る…

太宰治「書簡」(菊田義孝あて)

短編小説は、もっとシャッキリした鮮明な感覚の一線を引くことが大事です。 君の言葉を借りて言えば、それこそ読者への「奉仕」です。隣人への捨身です。 君は少しも「奉仕」していないし、捨てていない。「美しさ」とは、どんなものだか考えてみてください…

太宰治「書簡」(堤重久あて)

君、いまさら赤い旗振って、「われら若き兵士プロレタリアの」という歌、うたえますか。無理ですよ。自身の感覚に無理な(白々しさを感ぜしむる)行動はいっさいさけること、必ず大きい破たんを生ずる。 一、いまのジャーナリズム、大醜態なり、新型便乗とい…

太宰治「書簡」(井伏鱒二あて)

ジャーナリズムにおだてられて民主主義踊りなどする気はありません。

太宰治「書簡」(小山清あて)

貴稿は拝読いたしました。一、二箇所、貴重な描写がありました。恥じることはありません。後半、そまつなり。めちゃだ。次作を期待しています。雰囲気やにおいを意識せず、的確ということだけを心がけるといいと思います。 (それから、人間は皆、醜態のもの…

太宰治「書簡」(高田英之助あて)

幸福は、そのまま素直に受けたほうが、正しい。幸福を、逃げる必要は、ない。君のいままでの、くるしさ、ぼくには、たいへんよくわかっています。いまだから、朗らかに言えますが、ぼくは、君の懊悩の極点らしい時期に、御坂にひとりいて、君の苦しさ思いや…

太宰治「書簡」(井伏鱒二あて)

幸福は一夜おくれて来る。 おそろしきはおだてに乗らぬ男。飾らぬ女。雨のちまた。私の悪いとこは「現状よりも誇張して悲鳴あげる。」とある人申しました。苦悩高いほど尊いなどまちがいと存じます。私、着飾ることはございましたが、現状の悲惨誇張して、ど…

太宰治「書簡」(山岸外史あて)

「乾杯! 私にもしあわせなときがあったのです。(拍手。)私が一歳のころ。」

太宰治「書簡」(小館善四郎あて)

ぼくは、だんだん、めくらのふりをしているのに、君は、だんだん、目をひらく。「君、自身を愛したまえ。」問題は、それから。 千人のうち、九百九十九人の一致したる言を信ぜず、あとの、みすぼらしい、ひとりの男の言を信ずる。

太宰治「書簡」(小館善四郎あて)

純粋のかなしみをかなしみたまえ。 (中略) ぼくたちのかなしみを笑うひとは、殺す。取り乱したまま投函。

太宰治「書簡」(酒井真人あて)

せいせい、るてん。水の流れだ。人の意志では、どうにも、うごかぬものが、この世の中にあるのだ。袖すり合うも他生の縁ということばがある。私は、あなたにかなしい縁を感じている。 「生まれて来たのが、すでにまちがいのもとであった。」 私、この二、三…

太宰治「書簡」(神戸雄一あて)

必ず必ず、何かの形式で報いる。「そんなことは俗なことだ」と言うひとがあるなら、私は答えます。 「ほんとうの芸術家というものは、野卑な姿を執らざるをえないとき、その本然の美しさを発するものだ。」と。

太宰治「書簡」(小館善四郎あて)

このごろ、どうしているか。不滅の芸術家であるという誇りを、いつも忘れてはいけない。ただ頭を高くしろという意味でない。死ぬほど勉強しろということである。and then ひとの侮辱を一寸(イッスン)もゆるしてはいけない。自分に一寸五分の力があるなら、そ…

太宰治「書簡」(中村貞次郎あて)

「運がわるい」ということは、言いうる。たしかに私たちは、運がわるかった。神は何ひとつ私たちに手伝ってくれなかった。けれども、考えてみれば、私たちは、この世の中を誤算していた。甘く見くびっていた。今になって、あたりを見まわすと、眼前の事実は…

田村隆一「冬の音楽」

そのようなことがないとは言えぬ どこか僕の知らない地上の果てで そこはきっと霧の深い都会のなかの地階の部屋で ちょうど僕のように二十五歳の痩せた青年が 髪はブロンド 眼は灰色 北欧の言葉で語る 革命の行動原理について 狂気か感傷か それがたとえ一九…

宮本輝「途中下車」

いまから十三年前、私は友人と二人して、ある私立大学を受験するため上京した。というより、上京するため確かに東京行きの列車に乗ったのである。世の受験生と同様、私たちもまた幾分の不安と心細さを抱いて、窓外の景色を眺めていた。そんな気持ちを和めよ…

田村隆一「予感」

午後は不意に訪れる 彼は個人として椅子の底に押しこめられる 手はだらりと垂れさがって 世界は翳ってくる 世界の悩みが彼を一個人に追い込む 世界の悲しみが彼の両の眼を抉り出す その傷口のようにドアがひらかれて そのまま過去に通じてしまうような気がす…

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

でも、これはほんの束の間にすぎないことで、世界は、飢えた虎のように、外で待ちうけていること、苦しみは空よりもなお遠く、ぼくたちの頭上に拡がっていることに、ぼくは気づいていたのだ。

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

音楽についてぼくの知っていることといえば、真に音楽をきいている人はそう多くはいない、ということだけだ。心の内でなにかが開き、音楽が入りこんでくるまれな場合でさえも、ぼくたちが聞いているもの、あるいは聞くことによって確かめているもののおおか…

ジェームズ・ボールドウィン「サニーのブルース」(北山克彦 訳)

「ときどきね、それもほんとうにぼくが、世界のもっともそとにいるときなんだけど、ぼくは自分がその内にいること、ぼくがそれとともにいることを、真実感じたんだ、そしてぼくは演奏(プレイ)できた、あるいは演奏などする必要はほんとはなかったんだ、それ…

テネシー・ウィリアムズ「欲望と黒人マッサージ師」(志村正雄 訳)

いま三十歳になるというのに、さまざまな防護壁をこころみたおかげで、顔も体もまだ子供のように未完成なものが見え、上司の見ているまえでは子供のような行動をした。体をどう動かしても、どんな語調でしゃべっても、どんな表情をしても、なぜか生まれて来…

テネシー・ウィリアムズ「欲望と黒人マッサージ師」(志村正雄 訳)

どこに行くよりも映画を見ていると安心した。映画館の後部の列に腰をおろしているのが好きであった。そうすると、そっと暗闇に吸いこまれて、大きな、熱い息の口の中で溶けていく食物の一片のような気がする。映画は彼の心をやさしく、そよぐような舌でなめ…

田村隆一「声」

指が垂れはじめる ここに発掘された灰色の音階に 息を殺せ 無声音を用いて語れ……愛は性器と死者との不協和音による黄昏のごとき表象なのだ 雨の日の彼女は美しい その秋の夜明け 彼女は黄金の微笑を招く 不意に俺は背をむける 眼底に落ちる青! ああ死はすで…

レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』(大久保康雄 訳)

「そうか。それじゃ、いまからちがう考えかたをするんだね。町じゅうで一番幸福そうで、一番にこやかな微笑の持主が、ときには一番重い罪の荷を背負っている場合もあるのだよ。微笑にもさまざまある――その明暗のちがいを見分けることが大切なんだ。アザラシ…

レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』(大久保康雄 訳)

父親はすこしも荷を背負わず、苦痛も感じない。女のように、暗闇の中に寝て、赤ん坊といっしょに起きる男がいるだろうか? 母親のやさしい微笑には、すばらしい秘密があるのだ。ああ、女というやつは、なんというすばらしい、不思議な時計であろう! 女は時…