2012-01-01から1年間の記事一覧

井伏鱒二「鮠釣り」

あるとき私は滝つぼで、黒漆(くろうるし)をかけたように頭の光る古色蒼然たる鮠(はや)を釣ったことがある。ちょっと奇怪の感じがした。この鮠は魚籃(びく)のなかで、ながいこと重々しく跳ねまわっていた。そのとき、下から見上げる滝の上に短い虹が現われて…

樋口一葉『翻刻 樋口一葉日記』「塵之中」(一八九三年七月一七日)

十七日 晴れ。家を下谷(したや)辺に尋ぬ。国子のしきりにつかれて行(ゆく)ことをいなめば、母君と二人にて也。坂本通りにも二軒計(ばかり)見たれど気に入(いり)けるもなし。行々(ゆき/\)て龍泉寺丁(まち)と呼ぶ処に、間口二間奥行六間計なる家あり。左隣り…

知里幸恵『アイヌ神謡集』序

その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天…

中里介山『大菩薩峠』

大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。 標高六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清…

田宮虎彦「末期の水」

孟冬十月二十日(新暦十二月三日)、例年ならば黒菅(くろすげ)の城下には霏々(ひひ)として白雪が舞っている頃である。だが、この年は何故か雪がおそかった。五日前の夜、亥の下刻に及んで初雪が僅かに降ったが、それも程なくやんで、夜明けとともに、冴えた藍…

島崎藤村「愛憎の念」

愛憎の念を壮んにしたい。愛することも足りなかった。憎むことも足りなかった。頑執し盲排することは湧き上って来るような壮んな愛憎の念からではない。あまり物事に淡泊では、生活の豊富に成り得ようがない。 長く航海を続けて陸地に恋い焦(こが)るるものは…

梶井基次郎「闇の絵巻」

私は好んで闇のなかへ出かけた。渓(たに)ぎわの大きな椎の木の下に立って遠い街道の孤独な電灯を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう。私はその光がはるばるやって来て、闇のなかの私の着物をほのかに染めているのを…

二葉亭四迷「明治三六年二月一五日付 奥野小太郎宛書簡」

誠に人生は夢の如しといふうちにも、小生の一生の如きは夢よりも果敢(はか)なくあはれなるものなるべし。……かくして空想に入りて一生を流浪の間に空過し、死して自らも益せず人をも益せず、唯妻子を路頭に迷はすのみにてはあまりに情けなく候へど、これも持(…

徳冨蘆花『謀叛論』

諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。「身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るるなかれ」。肉体の死は何でもない。…

キルケゴール『あれか、これか』(浅井真男 訳)

ぼくは子供と話すのが最も好きだ。彼らからは、彼らがいつか理性的存在になりうることを期待できるからだ。しかし理性的存在になった者たちときては――やれやれ!

ゴッホ『ファン・ゴッホ書簡全集』(アントウェルペン 一八八五年一二月一九日ごろ)(二見史郎 訳)

しかし、ぼくはカテドラルよりは人びとの眼を描きたい。カテドラルがいかに荘厳で、圧倒するような印象を与えようと、そこにはない何かが人間の眼にはあるからだ。一人の人間――それが哀れなルンペンであろうと、夜の女であろうと――の魂はぼくの眼にはもっと…

トゥキディデス『戦史』(久保正彰 訳)

されば今ここで諸君の決心を要求する。身に害を蒙るまえに屈服するか、それとも、私がよしと判断するように、戦うか、そして若し戦うとすれば、原因の軽重いかんにかかわらず妥協を排し、汲々たる現状維持を忌否する態度を決して貰いたい。なぜならば、対等…

アインシュタイン『アインシュタイン‐ボルン 往復書簡集』(ボルン宛書簡、一九二六年一二月四日付)(西義之・井上修一・横田文孝 訳)

量子力学の成果はたしかに刮目に価します。ただ、私の内なる声に従えば、やはりどうしても本物ではありません。量子論のもたらすところは大なのですが、われわれを神の秘密に一歩とて近づけてくれないのです。いずれにしろ、神はサイコロばくちをしない、と…

エイゼンシュテイン「自伝のための回想録」(『エイゼンシュテイン全集』1、全集刊行委員会 訳)

わたしは書物をたいへん大事にしたので、ついには彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。 書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらをひろげて行く。そして、創造力をあたえる思想をもたらし、言…

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造 訳)

生にとって掛け替えのない解脱の機会、それは……われわれの種(しゅ)がその蜜蜂の勤労を中断することに耐える僅かの間隙に、われわれの種がかつてあり、引き続きあるものの本質を思考の此岸、社会の彼岸に捉えることに存している。われわれの作り出したあらゆ…

ノーマン『クリオの顔 歴史随想集』(「クリオの苑に立って」)(大窪愿二 編訳)

巨匠たちの歴史作品に見られるように、歴史は決して一直線でも、単純な因果の方程式でも、正の邪に対する勝利でも、暗から光への必然の進歩でもなかった。それよりも歴史は、すべての糸があらゆる他の糸と何かの意味で結びついているつぎ目のない織物に似て…

ウィーナー『サイバネティックス 第2版』(池原止戈夫・彌永昌吉・室賀三郎・戸田厳 共訳)

新しい科学、サイバネティックスに貢献したわれわれは、控え目にいっても道徳的にはあまり愉快でない立場にある。既述のように、善悪を問わず、技術的に大きな可能性のある新しい学問の創始にわれわれは貢献してきた。われわれはそれを周囲の世間に手渡すこ…

『孫子』(金谷治 訳注)

彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆(あや)うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。 敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知…

スピノザ『国家論』(畠中尚志 訳)

私が国家学に心を傾けた時に、私は何か新しい事柄、未聞の事柄を説こうとしたのではなく、ただ実践と最もよく調和する事柄を確実かつ疑いえない理論によって証明し、あるいはそれを人間的本性の状態そのものから導き出そうと意図したのであった。そしてこの…

リンカーン『リンカーン演説集』(ゲティスバーグ演説、一八六三年一一月一九日)(高木八尺・斎藤光 訳)

われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身であります――それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽して身命を捧げた、偉大な主義(コーズ)に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれが一層の献身を決意するため、…

ニーチェ『この人を見よ』(手塚富雄 訳)

人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛(アモール・ファティ)である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。

アウグスティヌス『告白』(服部英次郎 訳)

こうしてこの九年間、わたしの十九歳から二十八歳まで、わたしたちはさまざまな欲望に、みずから迷わされ、人を迷わし、みずから欺かれ、人を欺いた。そしておおやけには自由学科とよばれる学問を鼻にかけ、ひそかには宗教の名をかたって、一方ではうぬぼれ…

E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎 訳)

事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか…

クロソウスキー『歓待の掟』(若林真・永井旦 訳)

いまぼくは、ルクレティアの狂乱した表情を、細部にわたって述べてみよう。彼女の手は、強引に接吻しようとするタルクイニウスの口を避けるように見せかけながら、明らかに手のひらを彼に与えている。また下腹部におかれているもういっぽうの手は、宝物への…

ブリア=サヴァラン『美味礼讃』(関根秀雄・戸部松実 訳)

新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。 *だれかを食事に招くということは、その人が自分の家にいる間じゅうその幸福を引き受けるということである。

アラン『アラン 幸福論』(神谷幹夫 訳)

人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気沮喪するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。

セザンヌ『セザンヌ 絶対の探求者』(ジョアシャン・ガスケとの対話)(山梨俊夫 編訳)

花はあきらめた。すぐに枯れてしまう。果物のほうが忠実だ。果物は肖像を描いてもらおうとしている。色褪せていくのをあやまっているかのようにそこにある。香りとともに果物の考えていることが漂ってくる。果物たちは、さまざまな匂いのうちにあなたのもと…

ニジンスキー『ニジンスキーの手記』(鈴木晶 訳)

私は肉体をまとった感情であり、肉体をまとった知性ではない。私は肉体である。私は感情である。私は肉体と感情をまとった神である。私は人間だ。神ではない。私は単純だ。私のことを考えてはいけない。私を感じ、感情を通して理解しなければならない。

ガルブレイス『ゆたかな社会 第四版』(鈴木哲太郎 訳)

ゆたかな社会における貧困の除去を社会的・政治的な日程に強力に載せようではないか。さらに進んで、その中心に据えようではないか。そしてまた、地球を守るという名目で地球に灰しか残さないようにする懼れのある人たちから、われわれのゆたかさを守ろうで…

ハンナ・アーレント『精神の生活』(佐藤和夫 訳)

やったことはとんでもないことだが、犯人(今、法廷にいる、すくなくともかってはきわめて有能であった人物)はまったくのありふれた俗物で、悪魔のようなところもなければ巨大な怪物のようでもなかった。彼にはしっかりしたイデオロギー的確信があるとか、特…