2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、一〇年やれば誰でも一丁前になるんです。だから、一〇年やればいいんですよ。それだけでいい。 他に特別やらなきゃならないことなんか、何もないからね。一〇年間やれば、とにかく一丁前だって…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

でも、まあ、これから詩をやるんだってことで言えば、参考になるのは先に言ったプロの三人、谷川俊太郎さんと、田村隆一さん、吉増剛造さんですね。吉増さんは、ものすごいですよ。この人にかかると、何の意味もない「、」や「。」という句読点が、もう、何…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

文芸っていうのは、もう、手を抜きにしたら成り立たないもので、いくら頭で考えてもだめなんですよ。手を使わないで頭で考えてとか、文献を読んで思い浮かんでくるというのには、着想なるものはほとんど何にもないですからね。 要するに、手を使わなければ何…

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

ただ、死が自分のものじゃないってことが言えるだけでね。でもそれは十分、生きるための「抜け道」にはなったんですね。

吉本隆明[聞き手]糸井重里『悪人正機』

これは形而上的には考えていたはずなんですけどね、肉体としての死というものは、どうやら自分には属してないらしいぞということが実感的にわかったんで、それまでの考えを修正したわけです。

吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』

たとえば物書きというのは虚業で、政治家の次くらいにくだらない職業ですが、それでも持続ということが大事であることは変わらない。才能がどうこう言っても、一〇年続けないと一人前にはなれません。 逆に言うと、一〇年続ければどんな物書きでも何とかなり…

吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』

なるべく早く、引っ込み思案なら引っ込み思案の自分に合った仕事を見つけたほうがいいんだよ、ということは言いたいです。 なぜなら、どんな仕事でも、経験の蓄積がものを言うからです。持続ということは大事です。持続的に何かをして、その中で経験を積んで…

吉本隆明『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』

「とにかく教師は生徒に向き合うべきだ」という考えには、子どもを「指導」してやろうという、プロを自認する教師の、ある種思いあがった気持ちがあります。そんなことをしなくても、毎日後ろ姿を見ているだけで、子どもはいい先生を見抜きます。自分の好き…

上野千鶴子『女という快楽』

男にとって、性を享受し生殖に責任を負わずにすむ社会は、一つの「男のユートピア」に違いないが、そういう社会は、同時に男性を生殖から排除してもいる。「女の腹は借りもの」が女の疎外なら、「男のタネは借りもの」もまた、男の疎外にほかならない。しか…

上野千鶴子『女という快楽』

女は男に、人間なんかであってほしいのではない。自分もまた相補性の片われにすぎないことを思い知れ、と迫る。それが惚れた女の特権だ。

上野千鶴子『女という快楽』

女が、人間としてさえ認められていないという不満の裏には、対等な他者として相補的なアイデンティティ・ゲームに参加せよ、というフェアネスへの要求がこめられている。

上野千鶴子『女という快楽』

しかしこのゲームは、もともと対等なゲームなのだろうか。ことばを占有してきた男たちは、女たちを名づけ、記述し、そのことによって女を客体化してきた。沈黙のうちにある女たちは、自分をとり戻すすべがない。女たちは「わたしって誰」であるかを、心理的…

「ABCD…JLG(ゴダールインタヴューその2)」(『E/M ブックス2 ジャン=リュック・ゴダール』所収)

CINÉMA(映画) 映画は一度も完成されたことがありません。昔、無声映画を見ていた頃、すべてはやりつくされたと思い込んでいました。突然、まるで絵画の五世紀を発見したような気になりました。それが『気狂いピエロ』の頃まで続きました。こう思っていたん…

「ゴダール インタヴュー その1」(『E/M ブックス2 ジャン=リュック・ゴダール』所収)

質問:あなたの作品の中で、あなたはしばしば台詞と解説を重ねます。それぞれにどのような意味を与えているのですか。 ゴダール:解説を付ける時、その解説が役に立つものか心地よいものかのどちらかだと考えています。それだけでなく、さらにひとつの要素を導…

「ゴダール インタヴュー その1」(『E/M ブックス2 ジャン=リュック・ゴダール』所収)

質問:あなたは偶然を重視していますね。 ゴダール:ええ、かなり重視しています。私は五分後に変わってしまうような場面を撮るのが大好きなんです。そうした場面では、五分遅くても、五分早くても、人は同じことを言いません。人生と同じです。

赤松啓介『夜這いの民俗学』

しかし、すべての男と女とが慣習どおりにメデタシ、メデタシになるわけではない。とくにいろいろの障害者の人たちにとっては、昔のムラも、生きるのが難しかったと思う。一般の民俗学者や研究者と違って、われわれは暗黒面にまで照射させる眼力、気力をもち…

赤松啓介『夜這いの民俗学』

結婚と夜這いは別のもので、僕は結婚は労働力の問題と関わり、夜這いは、宗教や信仰に頼りながら過酷な農作業を続けねばならぬムラの構造的機能、そういうものがなければ共同体としてのムラが存立していけなくなるような機能だと、一応考えるが、当時、いま…

本田和子『異文化としての子ども』

しかし、共同体による「通過儀礼」の消失と共に、「病気」という「通過儀礼」もまた、姿を消しつつあることに注目せねばなるまい。病児と家族との間に、「生命を看取るもの」という抜き差しならない関係を出現させ、共に「生死の深淵を覗きこませる」、常な…

本田和子『異文化としての子ども』

サーカスや見世物は、しばしば子どもの誘拐と結び付けられ、「人さらい」神話に彩られてきた。人々は、演技者の上に「さらわれた子ども」のイメージを重ねつつ、その肉体の極限に挑む演技にひときわ胸を熱くし、拍手を送ってきたのであった。こうした「人さ…

本田和子『異文化としての子ども』

それゆえに私どもは、子どもたちのきれぎれの言動にも、何かしら前後の脈絡を見出して、辻褄を合わせようとする。そうすることで、辛うじて自身を納得させるために。その結果、私どもは、子どもたちの世界が、非連続に見えて、その実、切れ目もなく連続する…

本田和子『異文化としての子ども』

確かに砂場の子どもたちは、エホバの業を演じる。その手指は勤勉に動いて、一メートル四方にも満たぬ砂場空間の中に大陸を出現させ、海を招き寄せ、時には植物を繁らせたりもするのだ。しかし、それらのすべてを超えて彼らが創造主の力を発揮するのは、多田…

夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

そういういいかたをすれば、言葉は時間的なもので、絵は空間的なものです。欧米の言葉はもともと音で、音をあらわす文字によって成り立っているといわれます。ですから言葉はほとんど脳の聴覚処理部門で受けとられる。ところが日本の場合、かなという聴覚的…

夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

時間分節の約束は、日本の本ではまず右から左へと読み進むことにあります。読み進むコマの順番のルールがまだ完全に定まっていなかった頃は、マンガのコマに一つ一つナンバーがついていました。このナンバーが廃止されるのは、「週刊少年マガジン」で六九年…

夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

ページをめくるという、我々にとって当り前になっているマンガの読みかたは、じつは本という媒体に物理的に決められたものです。新聞マンガなどは、ページをめくるという読みかたをもっていません。でも、現在の日本のマンガではページをめくるという読みか…

夏目房之助『マンガはなぜ面白いのか その表現と文法』(NHK人間大学 1996 7月〜9月期)

そして、何よりもドラえもんそのものの造形が、じつに安定した丸の集合によってできています。ドラえもんの絵から丸い線とそれ以外の線を抜き出して並べると、いかに彼が丸にこだわって描かれているかがわかります。ドラえもんがじつは耳のついた猫型ロボッ…

ねじめ正一『言葉の力・詩の力』(NHK人間講座 2001 4月〜5月期

つまり、吉岡さんはコトバだけでひとつの世界をつくり上げてしまったわけです。この詩はコトバだけで出来ています。「詩なんだもの、そんなの当たり前でしょ」というのは間違いです。たいていの詩はコトバだけではなく、詩人の内面だの感情だの思想だのが入…

ねじめ正一『言葉の力・詩の力』(NHK人間講座 2001 4月〜5月期

言霊とはコトバそのものから立ちのぼってくるコトバのたましいのことですが、その言霊には意味とか伝達機能とかはないのです。そういうものとは無縁なところに言霊はあります。言葉遊びとは、言い換えれば言霊と遊ぶことです。

ねじめ正一『言葉の力・詩の力』(NHK人間講座 2001 4月〜5月期

男詩人は詩のために生きる(ときには死ぬ)ことはあっても、詩がなくては生きて行けないということはありません。詩に命をかけることはあっても、詩を書くことが生きることだとは言い切れません。男詩人は詩と自分との間にもう少し距離を取ることができます…

ねじめ正一『言葉の力・詩の力』(NHK人間講座 2001 4月〜5月期)

以前、谷川さんと喫茶店で話をしているときに、谷川さんは私にこんなことを言いました。 「詩って、まだ白紙じゃない。ねじめさんはその白紙のほんの一部分に書き込んだけど、まだまだ白紙のところはいっぱいある。それを考えると、詩の状況が行き詰まってい…

中井正一『美学入門』

「訣別する時に、初めて、ほんとうに遇えたのだ。」といえるような弁証法的な自分への対決を、自分に強いる時がある。 「美のもろさ」はそれである。美は、飛んでいく鳥が、目をかすめるほど、たまゆらを閃くものであるというのはそれである。そこに初めて、…