2014-01-01から1年間の記事一覧

佐藤春夫「東洋人の詩感」

いつたい西洋の詩人は、自然を見るにも常に擬人的にしか見られないし見る事をしない。ギリシャ神話だつて、自然の美しいところはにはニンフが住むでゐると考へて、初めて美を感ずる。或は美をいひ現はす為めにニンフが住むでゐるといふのか、ともかく自然と…

本居宣長「からごころ」

漢意(カラゴコロ)とは、漢国(からくに)のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非(ヨサアシサ)を論(あげつら)ひ、物の理(リ)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍(カラブミ)の趣なるをいふ也、さるはからぶみをよ…

世阿弥『風姿花伝』

秘する花を知ること。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。 そもそも一切の事(じ)、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用(だいよう)あるがゆゑなり。しかれば秘事といふことをあ…

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』

盲導犬を一人前に仕立て上げることの難しさはよく知られている。訓練を受けた盲導犬がすべて盲導犬としての役割を果たすようになるわけではない。 なぜ盲導犬を訓練によって一人前に仕立て上げることはこれほど難しいのか? それは、その犬が生きる環世界の…

藤原正彦「数学と文学」

数学は自然科学の一分野として一般に考えられているが、私は必ずしもそれに同意していない。数学が自然科学の諸分野に不思議なほど効果的に利用されてきた、という歴史的事実があるに過ぎない。物理学等の要請を受けて数学が発展することもあるが、多くの場…

佐藤文隆「中国の天文」

太陽や月、それに夜空を彩る星も身近な自然の一部を構成する。ただし野山の自然などと違って五感にはあまりインパクトの大きいものではない。もちろん太陽は強烈だが変化がないので機械仕掛けのイメージである。夜空には微かではあるが季節による星座の変化…

永田和宏「体のなかの数字」

タンパク質はアミノ酸が繫がったものだということくらいは、高校の生物でかすかに習った記憶があるだろう。平均すると一個のタンパク質は数百個のアミノ酸が紐のようにつながっている。数百個のアミノ酸を、遺伝子に記された設計図どおりに順序正しくつない…

多田富雄「人権と遺伝子」

「人権」というのを辞書で引くと、「人間が生まれながらにして持っている固有の権利、変更することも侵すこともできないもの」というような定義が出てくる。「生まれながらに」とか、「変更不可能で固有の」とか言われると、私のように医学生物学の研究をし…

中谷宇吉郎『科学の方法』

紙の落ち方は、同じ落ち方を二度とはしないが、ほんとうのところは、鉄の球でも二度と同じ落ち方はしないのである。原理的には、両方とも同じことであるが、鉄の球の場合は、再現可能な要素が強く、不安定で再現困難な要素の影響が、測定の精度よりも小さく…

中谷宇吉郎「語呂の論理」

「雪中の虫」の説はなかなかの傑作である。凡そ銅鉄の腐るはじめは虫が生ずるためで、「錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆(さび)の中かならず虫あり、肉眼に及ばざるゆゑ」人が知らないのであるが、これは蘭人の説であるという説明があって、その…

森鷗外「かのやうに」

秀麿は語を続(つ)いだ。「まあ、かうだ。君がさつきから怪物々々と云つてゐる、その、かのやうにだがね。あれは決して怪物ではない。かのやうにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのやうにを中心にし…

南方熊楠「ロンドン書簡」

電気が光を放ち、光が熱を与うるごときは、物ばかりのはたらきなり(物理学的)。今、心がその望欲をもて手をつかい物を動かし、火を焚いて体を煖むるごときより、石を築いて長城となし、木をけずりて大堂を建つるごときは、心界が物界と雑(まじわ)りて初め…

寺田寅彦「破片(七)」

最新の巨大な汽船の客室にはその設備に装飾にあらゆる善美を尽くしたものがあるらしい。外国の絵入り雑誌などによくそれの三色写真などがある。そういう写真をよくよく見ていると、美しいには実に美しいが、何かしら一つ肝心なものが欠けているような気がす…

寺田寅彦「言語と道具」

人間というものがはじめてこの世界に現出したのはいつごろであったかわからないが、進化論にしたがえば、ともかくも猿のような動物からだんだんに変化してきたものであるらしい。しかしその進化のいかなる段階以後を人間と名づけてよいか、これもむつかしい…

井上靖『天平の甍』

二十日の暁方、普照(ふしょう)は夢とも現実ともなく、業行(ぎょうこう)の叫びを耳にして眼覚めた。それは業行の叫びであるというなんの証しもなかったが、いささかの疑いもなく、普照には業行の叫びとして聞えた。波浪は高く船は相変らず木の葉のように揺れ…

源氏鶏太「流氷」

その夜、美奈は、店へ出て、客の相手をした。ぐいぐいと酒を飲んで、別人のように、陽気に騒いだりしていた。お秋さんも、この調子なら、美奈も、憑きものが落ちたように、案外、早く、立直るのではないか、と思っていた。客の切れ目が出来たとき、 「酔い過…

織田作之助「アド・バルーン」

私の文子に対する気持は世間でいふ恋といふものでしたらうか。それとも、単なるあこがれ、ほのかな懐しさ、さういつたものでしたらうか。いや、少年時代の他愛ない気持のせんさくなどどうでもよろしい。が、とにかく、そのことがあつてから、私は奉公を怠け…

岡本かの子「金魚撩乱」

いま、暴風のために古菰(ふるこも)がはぎ去られ差込む朝陽で、彼はまざまざとほとんど幾年ぶりかのその古池の面を見た。その途端、彼の心に何かの感動が起ろうとする前に、彼は池の面にきっと眼を据え、強い息を肺いっぱいに吸い込んだ。……見よ池は青みどろ…

谷崎潤一郎『春琴抄』

程経て春琴が起き出でた頃手さぐりしながら奥の間に行きお師匠様私はめしひになりました。もう一生涯お顔を見ることはござりませぬと彼女の前に額づいて云つた。佐助、それはほうんたうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思してゐた佐助は此の世に生れて…

永井荷風『すみだ川』

残暑の夕日が一しきり夏の盛(さかり)よりも烈しく、ひろびろした河面(かはづら)一帯に燃え立ち、殊更に大学の艇庫の真白なペンキ塗の板目(はめ)に反映してゐたが、忽ち燈(ともしび)の光の消えて行くやうにあたりは全体に薄暗く灰色に変色して来て、満ち来る…

宇野浩二『蔵の中』

そんな間柄ですから、先の私の願ひは破格で聞(きき)とどけられました。私は梅雨の明けた初夏の一日、小僧に案内されて質屋の倉の二階に上つて行きました。反古紙(ほごがみ)に包まれた着物の包(つつみ)が幾層かの棚に順序よく並べられてゐる中を、私は通り抜…

芥川龍之介「地獄変」

火は見る見る中(うち)に、車蓋(やかた)をつつみました。庇についた紫の流蘇(ふさ)が、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々(もうもう)と夜目にも白い煙が渦を巻いて、或は簾、或は袖、或は棟(むね)の金物(かなもの)が、一時に砕けて飛んだかと思ふ程…

中勘助『銀の匙』

そのあとから私は日陰者みたいにこっそり部屋へ帰って柱によりかかったまま弱りかえっていた。初対面の挨拶をするのがなにより難儀だ。そうしてなじみのない人のまえにかしこまってるつらさといえばなにか目にみえない縄で縛りつけられてるようで、しまいに…

国木田独歩「春の鳥」

さて私もこの憐れな児の為めには随分骨を折ってみましたが眼に見えるほどの効能は少しも有りませんでした。 かれこれするうちに翌年の春になり、六蔵の身の上に災難が起りました。三月の末で御座いました、或日朝から六蔵の姿が見えません、昼過(ひるすぎ)に…

森鷗外『澀江抽齋』

抽齋の王室に於ける、常に耿々(かうかう)の心を懐いてゐた。そして曾て一たびこれがために身命を危くしたことがある。保さんはこれを母五百(いほ)に聞いたが、憾(うら)むらくは其月日を詳(つまびらか)にしない。しかし本所(ほんじよ)に於ての出来事で、多分…

樋口一葉「たけくらべ」

龍華寺(りうげじ)の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水(みづ)の谷(や)の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、縄とびの遊びに興をそへて長き日の暮る…

島崎藤村「おくめ」『若菜集』より

こひしきままに家を出(い)で ここの岸よりかの岸へ 越えましものと来て見れば 千鳥鳴くなり夕まぐれ こひには親も捨てはてて やむよしもなき胸の火や 鬢(びん)の毛を吹く河風よ せめてあはれと思へかし 河波暗く瀬を早み 流れて巌(いは)に砕くるも 君を思へ…

ヴェルレーヌ(上田敏訳)「落葉」『海潮音』より

秋の日の ヸオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。 げにわれは うらぶれて ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉(おちば)かな。

カアル・ブッセ(上田敏訳)「山のあなた」『海潮音』より

山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ。 噫、われひとと尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幸」住むと人のいふ。

関川夏央「スキーヤーの後姿」

彼女はスキーを始めたのである。下の子をスキー場に連れて行ったついでに、二十五年ぶりに自分もやってみた。 転びもするが、結構すべれる。スキー教室のグループの脇にたたずんで先生の話を盗み聞いた。いうとおりに試してみたら、スキー板をそろえたままで…